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11/24(金)歴史探訪ウォーキングサークル@法隆寺・斑鳩 聖徳太子ワールドウォーキング

2023年11月24日(金) 09:30〜16:00

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11/24(金)歴史探訪ウォーキングサークル@法隆寺・斑鳩 聖徳太子ワールドウォーキング

歴史探訪ウォーキングで健康元気!日本の歴史を訪ねて日本人のパワーを取り戻そう^ - ^

会場 法隆寺
住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1    地図
料金制度 無料イベント
ジャンル >
タグ お茶会 願望実現 人生相談 奈良 運動 ウォーキング 歴史 神社
事務局 歴史探訪ウォーキングサークル    お問合せ ※当イベントは上記の事務局によって企画・運営されており、(株)こくちーずは関与しておりません

イベント詳細

今回は日本の歴史に詳しい、須磨寺 蓮生院 住職による、解説付きです!

今回は、こちらのコースを参考にさせていただき、JR法隆寺駅からのハイキングになります

https://www.jinriki.info/kaidolist/feature/ikaruga/walk.html

聖徳太子が拓いた地 斑鳩

〇世界文化遺産 法隆寺

松の翠の美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。
太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆のうちに薨去されました。

その後太子の志は、太子の遺訓を守る長子の山背大兄王が受け継がれるところでありましたが、蘇我入鹿の軍勢により、大兄王をはじめ太子の一族は滅亡しました。法隆寺はその後も太子を慕う人々によって護持されたと伝えますが、『日本書紀』によると天智9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にも増した寺観が整えられたのが、世界最古の木造建築群として知られる現在の西院伽藍です。 一方、斑鳩宮は、荒廃にまかせるままになっているのを嘆かれた奈良時代の高僧行信僧都が、天平11年(739)ごろ、太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍です。このような幾多の経緯にもかかわらず今日の法隆寺では、飛鳥時代以来の多くの仏像や建造物のほか、あまたの美術工芸品を眼前にすることが 出来るのは誠に幸いなことであります。


〇中宮寺
聖徳太子の母、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の発願によって創建されたという

国内初の世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」をはじめ、藤ノ木古墳など国宝や重要文化財が200件以上ある奈良県生駒郡斑鳩町。

斑鳩の地名の由来は、聖徳太子が宮を造った夢殿辺りに太く黄色い口ばしを持つイカルという鳥が群れをなしていたことから、斑鳩宮と名づけたことによる説と、伊香留我伊香志男命(いかるがいかしおのみこと)がこの地の神として祀られていることからつけられたという説がある。

聖徳太子は推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、その後太子自身も移り住んだ。当時政治の中心地であった飛鳥から20km以上離れていて、また葦の生い茂る湿地帯だったという斑鳩の地に、なぜ太子が宮を造り移り住んだのか、その明確な理由は謎である。
確かなことは、斑鳩宮が現在の法隆寺東院伽藍の場所にあったということだ。

斑鳩には太子建立の法隆寺をはじめ、太子の病気平癒を願って息子の山背大兄王らによって建立された法輪寺や、太子が法華経を講説した岡本宮を寺に改めたと伝えられる法起寺など、太子ゆかりの神社仏閣や地名が多く残り、太子の足跡を今に伝えている。

〇太子と業平も通った古代の道
斑鳩の里には、竜田越奈良街道(別名竜田道)と呼ばれ大阪と奈良を結ぶ現在の国道25号にあたる街道や、聖徳太子が飛鳥と斑鳩宮を行き来したといわれる太子道、平安時代の歌人在原業平が河内の高安にいる姫のもとへ通ったという業平道(※民話参照)など、江戸時代に徳川幕府によって整備された街道からすると遥かに古い歴史と伝説を持つ道が数多く存在する。

竜田越奈良街道は、飛鳥時代に大阪の四天王寺と法隆寺を結ぶ道として、聖徳太子自身もこの街道を利用していたといわれ、その道沿いの地域には太子にゆかりのあるお寺や地名が残る。

しかし、日本人であれば誰もが知っている聖徳太子とは、一体どのような人物であったのであろうか。

〇聖徳太子とは?
聖徳太子という名が、亡くなった後に生前の功績に対し贈られた諡(おくりな)であることは広く知られている。生前の名前は厩戸皇子(うまやどのおうじ)で、上宮太子(かみつみやたいし)や豊聡耳(とよとみみ)などと呼ばれていた。
伯母である推古天皇の摂政として政治の主導を握り、有能な人材を登用する冠位十二階の制度や、官僚や貴族が守るべき道徳的規範を十七条憲法として制定したことはあまりにも有名である。
また、小野妹子らを隋に派遣して積極的に大陸の文化を取り入れ、仏教を保護し世の中に広めた人物でもある。

日本人であれば誰もが知っている聖徳太子であるが、資料が乏しく謎に包まれた部分が多い人物であるのも事実だ。かつて歴史の教科書やお札に描かれた肖像画なども、聖徳太子だと断定できるものはないという。
厩戸皇子は存在したが、聖徳太子は、蘇我氏を悪者にしたい藤原不比等が捏造した架空の人物である、という説まである。

謎が多いがゆえに、様々な想像が脹らむ。学校で教わった歴史の裏側をあれこれ考えながら訪れると、より一層斑鳩の魅力が深まるだろう。

〇藤ノ木古墳

法隆寺に残る記録には「陵山(みささぎやま)」と記された円墳で、6世紀後半に造営されたという。
今は消失して存在しない宝積寺という寺が、この古墳を守り供養してきた。そのため盗掘の被害に一切遇わず、埋葬当時の背景を知るに大変貴重な品が多数出土した。
出土品の中には象や兎などをあしらった華麗な馬具が発見されていて、朝鮮大陸からもたらされたものと推測される。

家形石棺には2名の成人男性が埋葬されていて、1名は何らかの理由で殺害されたらしいことが、骨などから鑑定されている。石棺からは、被葬者ととも刀剣やたくさんの装飾品が発見されているが、被葬者たちが一体誰なのかについて、聖徳太子の叔父にあたる穴穂部皇子(あなほべのみこ)や祟峻天皇説など諸説あるが、未だ決着をみていない。

〇斑鳩文化財センター
藤ノ木古墳から出土した品のレプリカや、家形石棺を開けた際の埋葬状態が映像で見学できるなど、視覚的にも謎に満ちた古代ロマンを楽しむことができる。展示品はレプリカと思えないほど美しい。

 

斑鳩文化財センター
■開館時間  9:00~17:00(※入館は16:30まで)
■休館日  水曜日(水曜日が休日にあたる場合は開館)
年末年始(12/28~1/4)
■入館料  無料

〇龍田神社

奈良街道(竜田道)沿いにある神社。
伝説によると、太子が法隆寺建立の地を探していたところ、白髪の老人が現れ、斑鳩の里に建てるよう告げたという。この白髪の老人に何者か尋ねると、龍田大明神の化身というので、太子は法隆寺の守護をお願いした。そのため、法隆寺の鎮守社として、お祀りする神社(龍田神社)を創建したということである。
祭神が龍田彦と龍田姫の風の神様であることから、風宮とも呼ばれる。境内にある蘇鉄の巨木は樹齢1200年といわれていて、奈良県の記念物の指定を受けている。

〇歴史を感じる西里の町並み

法隆寺の西大門を出ると、細い一本道に土壁の趣きある閑静な家並みが広がる。西里と呼ばれるこの地域は、かつて法隆寺の建立や修繕など、法隆寺を支えた大工集団の本拠地であったという。

〇業平井戸の伝説
平安の頃、貴族で歌人であった在原業平は、“体貌閑麗、放縦不拘(容姿が麗しく、気ままでこだわりがない)”と史書「日本三代実録」にあるほど、世に聞こえた美丈夫であったという。
その業平がまだ若い頃、河内の国高安に足しげく通う姫がいた。
業平は住まいのある奈良県天理市から河内へ通う道すがら、井戸の水鏡に自分の姿を映し身だしなみを整えたという。

「ここは並松(なんまつ)業平さまが姿井戸とはこのことか」

という唄も詠われている。

また、もう一つ別の伝説がある。
業平が河内の国高安の女のもとへ通っていたときのこと。
業平は笛吹きの松のところで合図の笛を吹いて女を待ったが、なかなか出てこない。そこでそっと女の家を覗いて見ると、食事の最中で、女が父親の給仕をしながらお櫃の残りご飯をしゃもじですくって食べているのを見てしまった。大変高貴な家に生まれ育った業平は、女に興ざめして声をかけずに女の家から立ち去ったしまった。

それに気がついた女が慌てて業平を追いかけてきたので、業平はヨモミの木に登って逃げ隠れた。
業平の姿を道から見失った女が傍にあった井戸をのぞくと、木に登った業平の姿が井戸に映りこんでいたのだが、業平本人だと勘違いした女は井戸に身を投げて死んでしまったという。
平安の美男子ならではのエピソードである。

〇龍田神社の鶏の話
神功(じんぐう)皇后が三韓(古代の朝鮮半島)征伐のとき、暗がり峠で朝一番に鳴く鶏の声を合図に出発していた。ところがある日鶏が寝坊して出兵が遅れてしまったので、大変怒った皇后は鶏を生駒川に捨ててしまった。
それを、下流の龍田川のほとりの龍田大明神が拾って飼い、鶏は龍田神社のお使いになった。

それから、生駒地方では鶏を食べても飼わなくなり、龍田では鶏を飼っても食べなくなったという。


〇手水鉢に龍田神社のお使い「鶏の像」

神社の裏山にある御坊(廟)山は、聖徳太子の一族の墓であるとわれ、毎年元旦には金の鳥が鳴くという言い伝えも残っている。

 

<こんな方にオススメ>

・日本の歴史を学びたい方、もっと健康になりたい方
・本気で語り合える仲間が欲しい
・人生をもっとスムーズにしたい
・普通の友達には言いにくいぶっちゃけトークをしたい

そんな方の為のサークルです
一人でも気軽に参加して、友達を作れます
一緒にゆっくり語り合う時間を過ごしませんか?

初めてご参加の方や 
おひとりでのご参加も大歓迎です!

≪当日の流れ≫
最寄り駅集合→自己紹介→その日の行程説明→歴史探訪ウォーキング・トレッキング、休憩→解散

※各会場へのお問い合わせをされても、つながりませんため、お問合せは主催者までメールをください

❤️開催のきっかけ

歴史を学びながら、ウォーキングしてお友達を増やせたら最高だな!と思ったため。

【主催者:國本絵美子】

~主催者プロフィール~
アパレルネット販売会社経営、セラピスト、二児の母で妻、30代?、奈良在住

~開催に至るまでの経歴~
大学卒業後、関東で勤務していましたが、妊娠を機に仕事に対して疑問を持ち、コーチングとジュエリー制作を学び起業
脱サラ後、どんなに頑張っても希望収入を得られず、セミナージプシーに…
そんな時、友人から紹介されて出会った、人を大切にするコンサルタントに師事し、一霊四魂に基づいて事業を展開しています

現在は全国に100名以上の、様々な仕事を営みながら人生を良くしていっている仲間もでき、出張しながら時と場所を選ばず楽しく仕事をしています

この会は、日本の歴史や伝統・文化を知ることで、日本人としての尊厳を取り戻し、自らと周りの人々が癒され、自信を持って生きて行くことを意図して開催しています

◆注意事項◆

連絡先交換の時間は取りませんし、初対面での連絡先交換を推奨しておりません。過度なビジネス勧誘、宗教勧誘などの他の参加者が迷惑と感じる行為を、当日及び後日でもされた場合で、主催者が不適と判断させていただいた場合は、ご退出及び以後のご利用をお断りさせていただきます



開催場所

法隆寺奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1


お申込み


イベントチケット 金額(税込) 状態
ウォーキング 無料 終了
募集期間:2023年4月1日(土) 00:00〜2023年11月24日(金) 09:30

イベントは終了しました


変更履歴

  • イベント名を【11/24(金)歴史探訪ウォーキングサークル@法隆寺・斑鳩ウォーキング】から【11/24(金)歴史探訪ウォーキングサークル@法隆寺・斑鳩 聖徳太子ワールドウォーキング】に変更しました。2023年10月29日(日) 10:07


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