2017年1月14日(土) 13:00〜17:00


イベントレポートまとめ

大人78人、子ども24人の方が参加し、賑やかなイベントとなりました!

締め切り時で、大人97人(個人チケット53、家族チケット22)、子どもは40人の可能性で、主催者としては、部屋が小さ過ぎるかと心配したのですが、結果的にはちょうどよい人数となりました。やっぱり子どもさんの体調や家族の事情などで、泣く泣くお越しになれなかった方や、自分が行きたかったけど、子どものこともあるので夫に行ってもらうことにした、という方もおられました。

●須賀先生のお話から
個性とは? ピアノが弾けるなどの特技や美点を個性と捉える人が日本では多いが、個性とは本来、欠点やネガティブなものを含んでいて、個性の尊重とは、ネガティブなものを持っていたら、それをありのままに捉えること。「ああそうなのね」という一拍で受ける。そうすると「そこから伸びて行くんだよね」とみてあげられる。

現代は怒りを抱えている人が多い。例えばベビーカーを社内でたたまないことに対する怒り。実は一番不満を持っている人たちとは、過去に母親だった年齢層の人たちだった。かつて自分たちが言われてきたこと、きちんと躾け、迷惑をかけてはならない、と言われてきたことに対する怒りが今の母親に向けられている。
かつて親から自分が殴られたから、子どもにその怒りを向けてしまうこともある。悩みの原因は、子どもではなく自分の心にある人もいる。気づくこと、共感してあげられることが大事。

いじめをする子は、いじめをする理由を持たされている。よい方へ導いていくためには、肯定的空間と場が必要。よくない行動は、普通注意すべきで、それがよいことと思われて行われている。しかしそれは否定にもなる。ネガティブなことも受容する、包括的受容ができるとよい。これは難しいことではあるけれども、遥かに大きな受容になる。

●プラユキ先生のお話から
仏教の目的は自他の抜苦与楽。環境の縁(関係性)で結果が生まれる。太陽と水があって種が育つように。私たちがよい縁になることによって子どもを育てられる。

まずよき縁に触れるのが大切。このようなところで学ぶのもその一つ。いろいろな素材がある中で、親が子どもにとってよい素材、よき縁を選んであげることもできる。よい素材が得られないときでも、あきらめないで、あるものを利用しておいしい(=幸せ)、栄養のある(=智慧)料理をつくるのが腕の見せどころ。よき縁となし(どんなこともよき縁として生かす)、よき縁となる(自らがよき縁となる)。

どうしたらそういう心になれるのか。失敗は成功のもと。一回一回を学びとして、肯定的に活かしていく。今ここに気づいて受容し、心の反応パターンにはまりこまず、対応していくこと。

瞑想は、あるがままを理解して受け入れる練習。心を見守るスペースができる。瞑想することによって、自分に帰れるホームがわかった、我に帰れる土壌に気づいた、と言った人たちもいた。

★ 会場からのいろいろな質問には、時間の関係で残念ながら全部には応えきれませんでしたが、個々の質問にみんなの役に立つような形でお応えいただきました。

★この日は寒くて、それほど外遊びもできないこともあり、多くの子どもたちが、会議室内で一緒に過ごしました。講演中、子供たちの声が聞こえる環境ってそうそうないですが、それが「今ここ」に私たちを引き戻して、心がオープンでいられる環境をつくってくれました。例えば講師の話に聞き入って、「そうそう、私にもうそういうことがあった!あれは…」と行ってしまいそうになったときに子どもの笑い声や泣き声。パッと今に戻る、というように。

また、子どもがいて、見守る保護者がいて、そこで講演会が熱心に進められているという空間は、受容的、肯定的空間そのものでありました。

お子さんを連れて来てくださった方々。たいへんだったでしょうけど、本当に良い場を提供してくださいました。ありがとう!

 


イベント会場の様子